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【前編】弊社コンサルタントYukinoが語る、旅するように働くキャリアとライフスタイル

 

今回のインタビューシリーズでは、国や業界を越えて活躍するプロフェッショナルにフォーカスを当て、その挑戦と成長のストーリーをお届けします。多様な選択肢がある時代に、自分らしいキャリアを築くヒントになれば嬉しいです。

第4弾は、弊社で活躍するリクルーター、Yukinoさんにお話を伺いました!

オランダの大学院留学から、オランダのヤマト運輸での現地マーケットリサーチ、日本ではカルティエのイベントプランナーを経て、現在は場所を問わず柔軟に働くノマドリクルーターとして活躍中。多文化と多拠点を行き来する中で磨かれたキャリア観と、自分らしい働き方について伺いました。この企画が、読者の皆さんの次の一歩を考えるきっかけになれば嬉しいです。

 

留学から始まった視野の広がりと、初めての挑戦

Yukinoさんのキャリアの原点は、早稲田大学・国際教養学部での学生時代に遡ります。この学部には「1年間の海外留学」がカリキュラムに組み込まれており、校内での選考を経て希望の渡航先を選ぶ仕組みになっていました。

「アメリカ、タイ、スウェーデン、オランダの4カ国に希望を出しました。社会学を学びたかったんですが、正直なところ“土地が面白そう”という基準で選んだ部分もあります(笑)」と当時を振り返ります。結果、彼女はオランダへの留学の切符を手にすることになりました。

1年間の交換留学を終えて帰国後、残りの半期を過ごし卒業。そのまま日本で就職することは選ばず、「再びオランダへ戻り、大学院で学びたい」と考えるようになったといいます。

 

最初の「責任ある仕事」は、思わぬところから始まった

オランダの大学院への留学を控え、時間に余裕があったYukinoさんは、日本の有名飲食店でアルバイトを始めました。この経験が、彼女にとって初めて「責任ある仕事」と向き合うきっかけになりました。

「朝7時のオープニングシフトで出勤したら、お店が開いていなかったんです。自動ドアを手動で開けて中に入ると、そこにオーナーがいて。スタッフが来られなくなったから、代わりにこれから“店長をやってほしい”と突然言われたんです」と当時の出来事を振り返ります。

しかしこの申し出に、Yukinoさんは怒りをあらわにしました。というのも、彼女はその職場で当時の社員の方からいじめを受けていたのです。本人はそれをあまり気にせず仕事を続けていましたが、オーナーはその状況を知っていながら見て見ぬふりをしていたことが分かりました。そんな中でこのような時だけ、都合よく責任だけを押し付けられたことに対し、「自分が困ったときだけ頼ってくるのはどういうことですか」と、はっきりと気持ちを伝えました。

このやりとりを機に、Yukinoさんは様々なことについての交渉を始め、学生でありながらも対等に意見を伝え、交渉し、見事望んだ条件を手にいれます。

 

店を一手に担いながら得た“仕事観”

その後、Yukinoさんは店長代理として、お店の運営を任されるようになります。お金の管理から在庫、シフト作成まで、幅広い業務を経験する中で「一つの店舗を動かす」ことの重みを実感したといいます。

「自分よりかなり年上の方に研修をしたこともありました。本当にいろいろ任されて、責任を持って動いた期間でした」と語るように、彼女は短期間で実務力とマネジメント力を磨いていきました。

この経験を通して、Yukinoさんは「働くとは何か」「責任を持つとはどういうことか」という問いに、自らの行動で向き合うことになります。オランダでの学びが広げてくれたグローバルな視野と、日本の現場で得たリアルな実践。その両方が、彼女のキャリアを形づくる大きな礎となっていきました。

 

文化社会学とジェンダーの視点から、人を見つめる

その後、ついにオランダへ。大学院では社会学部の中でも「文化社会学」を専攻し、人間の考え方や行動の背景にある“文化”や“価値観”に深い関心を寄せていきます。

副専攻としてジェンダースタディーズも学び、社会の中での多様な立場や視点にも目を向けるようになっていきました。

 

コミュニティから広がった、仕事のチャンス

そんな学生生活の傍らで、Yukinoさんはフリーランスのコンテンツプロジェクトマネージャーとしても活動していました。その仕事のきっかけも、やはり“人との出会い”でした。

「オランダには、早稲田の会や慶應の会など、日本人が集まるコミュニティがいくつもあって。いろんな人と出会える場でした。そこで、テレビ局の海外ロケをコーディネートしている方と知り合って、お声がけいただいたんです」と振り返ります。

テレビ局がオランダに来る際には、ロケの同行や簡単な通訳、現地でのスケジューリング全体の調整などを担当。現場のハブとなる役割を果たしながら、マネジメントと調整力を自然と身につけていきました。この経験は彼女にとって大きな実践の場となっていきました。

 

ヤマト運輸で出会った“越境EC”の最前線

Yukinoさんが初めてフルタイムで働いたのは、オランダにあるヤマト運輸の現地法人でした。当時のヤマトは、今でいう「越境EC(電子商取引)」のような、ユニークなビジネスモデルを展開していました。

「最初は倉庫スタッフとして働いていました。ヤマトといっても、いわゆる“宅配便”のイメージとは違って、ドイツのeBayで売られている商品を、日本の顧客に届ける“中間業者”的なサービスをしていたんです」と語るYukinoさん。

たとえば、ドイツのeBayでメルセデスのパーツが格安で出品されていたとします。日本で正規品を買うと高額かつ納期が長くなるのに対し、eBayで買えば早くて安い。しかし、言語の壁や関税手続きがハードルとなり、個人輸入には不安がつきもの。そんなときにヤマトが仲介し、言語対応や輸送手続き、関税処理までを一括で請け負っていたのです。

「私がいた倉庫では、そういった荷物を一つひとつ検品して、日本に送る準備をしていました。当時はまだ、今みたいに越境ECが一般的じゃなかったので、とても面白かったです。」と当時を懐かしそうに振り返ります。

 

検品作業の中に広がっていた、世界の“個性”

取り扱う商品はメルセデスの部品だけにとどまりませんでした。古い切手やドイツの伝統的な陶器人形、コレクターズアイテムなど、実にさまざまな商品がeBayを通じて売買されており、それらがすべてオランダのヤマトの倉庫に届いていました。

「オンラインの写真と実際の品物が一致しているか、細かくチェックする必要があったんです。違っていたら大問題になるし、ヤマトというブランドを守る責任もありましたから」と話すように、現場では丁寧な検品が徹底されていました。

 

“倉庫からマーケティングへ” 予想外のキャリア転換

そんなある日、転機は突然訪れます。ヨーロッパ全体を統括している欧州ヤマトの社長と日本人社員の飲み会の席で声をかけられたのがきっかけでした

「“大学院でリサーチをしていたらしいね”って話しかけられて、“はい、そうなんです”って答えたら、“実はリサーチの仕事をやってほしいと思ってて……”と。そこからマーケティングリサーチのポジションで正式に働くことになりました」と当時の出来事を語ります。

それまでの仕事とは全く違う役割に抜擢され、Yukinoさんは調査・分析のスキルをビジネスの現場で活かすことになります。倉庫での実務経験、現場感覚、そして学問的な視点。その3つが交差した瞬間でした。

 

現場に飛び込み、リアルな声を拾い集めた日々

Yukinoさんがヤマト運輸でマーケティングリサーチを担当した時期、そのチームが取り組んでいたのは「日本の高級メガネをヨーロッパ市場に展開する」という新規プロジェクトでした。日本製のクラフト品質が光るメガネを、欧州のマーケットでどう展開していくかがメインテーマでした。

「ヤマト運輸って、配送の会社じゃないですか。だからメガネそのものではなく、“それをどう運ぶか”、“市場はどうなっているのか”という視点からリサーチをしていました」と話す大澤さん。彼女が任されたのは、ヨーロッパ各地を実際に訪れ、現場での市場調査を行うという仕事でした。

 

ロンドン、パリ、ドイツ… 店頭で聞き出す“輸送のリアル”

ロンドン、パリ、ドイツ、オランダ、そしてベルギーを回る中で、大澤さんは街にあるメガネ店を一つひとつ訪れ、輸送にまつわる情報をヒアリングしていきました。

「店内を見てると、“May I help you?”(何かお探しですか?)って店員さんが話しかけてくれるんですよ。そこから、“この眼鏡たちはどこから届くの?”や”どれくらいの頻度?”みたいに、配送まわりの質問をしてました」

「“週に何回ドイツから来てるよ”とか、“このエリアの倉庫から配送されてる”とか、細かい情報までたくさん教えてもらいました。それを全部、レポートにまとめて本部に提出していたんです」

リアルな現場の声を拾い、マーケティング施策の土台となる情報を地道に集めていました。フィールドリサーチの醍醐味をこの仕事を通して肌で感じていきました。

 

自然とつながった“リサーチの道”

もともと倉庫業務から始まったヤマトでのキャリアでしたが、こうして思わぬかたちで“リサーチ”という専門性を活かすポジションへと進んでいった大澤さん。マーケット調査という枠を超え、物流の可能性や文化の違いにも興味が広がっていったといいます。

「本当に楽しかったです。最初はまさかこうなるとは思ってなかったですけど、こういう仕事に就けてよかったなって、心から思います」と語ります。

この仕事には1年4ヶ月間、契約社員として携わりました。ヨーロッパでは、契約社員の雇用が2回延長されると、3回目からは正社員として雇用しなければならないという法律がありました。2回目の延長を迎えたタイミングで、大澤さんの契約も一度区切りを迎えることになります。

「ヨーロッパって、日本とは雇用制度の考え方が全然違うんです。契約社員というのがごく普通の働き方で、私のように期間で区切って働くのも珍しくありませんでした」と振り返ります。

 

スペインの端、ジブラルタルでのインターンシップ

オランダでの仕事を終えたあと、大澤さんが次に向かったのはスペインの南端にあるジブラルタルという地域でした。ここはイギリス領で、ヨーロッパの中でも少し特異な立ち位置を持つ場所です。

「たまたまJob boardで見つけたんです。小さな会社のインターン募集だったのですが、“面白そう”と思ってすぐ応募しました。運よく採用されて、行くことになりました」

インターン先で担当したのは、Airbnbアパートメントの管理に関連する業務でした。現場の運営というよりは、予約管理や価格調整など、PCシステム上で行うバックオフィス業務が中心だったそうです。

「宿泊データの更新や予約の確認など、裏側を支える仕事でしたね。現地の暮らしも新鮮で、また違う文化の中で働く経験ができました」

このインターンシップを終えた後、Yukinoさんは日本に帰国します。

 

化粧品の現場から始まった日本でのキャリア

日本に戻ってからしばらくは、再び海外へ行くか、日本に留まるかを迷っていたといいます。そんな折、妹さんの紹介でDiorの化粧品関連の短期仕事を始めることになりました。

「実家に戻ってきて、しばらくは迷っていました。でも、短期の仕事をしながら日本での暮らしを経験するうちに、“やっぱり今は日本で頑張ろう”と決めました」

日本での生活を本格的にスタートさせました。

 

転機となったリクルーターとの出会い

日本での就職活動は、複数のリクルーターとの面談から始まりました。当時はオンラインではなく、実際にオフィスを訪れて面談するのが一般的でした。

その中で、Yukinoさんの目に留まったのがナイキのイベントプランナー職でした。自身もランナーで、学生時代からナイキのイベントに参加する機会が多かったこともあり、強く惹かれたといいます。

「すぐに“ぜひ応募したいです”と伝えたのですが、その日に募集が締め切られてしまっていて、本当に残念でした」

その代わりに紹介されたのが、カルティエのイベントプランナーのポジションでした。この出会いが、彼女のキャリアを大きく動かすことになります。

面談を担当していたリクルーターからは、「あなた、リクルーター向いてるかもしれないね」と思わぬ一言をもらったそうです。それまで考えたこともなかった職種でしたが、話し方や雰囲気などを見て、そう感じてもらえたのだと思うと話してくれました。その時は予想もしていませんでしたが、5年後にその伏線回収することになりました。

 

カルティエでのキャリアのはじまり

カルティエには、まず派遣社員として入社しました。これまでの経験とはまた違った世界が広がっており、Yukinoさんにとって新しい環境への一歩でした。

「最初は派遣という形でのスタートでしたが、“カルティエのような一流ブランドで働けること自体が貴重な経験だな”と思っていました」

まだ始まったばかりの職場に、期待と少しの緊張を抱えながら足を踏み入れた当時。やがてこの場所での経験が、彼女の働き方や価値観に大きな影響を与えていくことになります。

そしてここから、Yukinoさんのキャリアはさらに深まり、転機を迎えていくことになります。

 

Yukinoさんのお話からは、自分の直感やご縁を大切にしながら、多様な環境で柔軟にキャリアを築いていく姿勢が伝わってきました。どんな場所にいても、自分らしく働き方を選び、成長していく姿はとても印象的です。

後編では、カルティエでの本格的なキャリアや、そこから現在のリクルーター職に至るまでの道のり、そして彼女が大切にしている「人との関わり」や「働くことへの思い」にさらに迫ります。ぜひご期待ください。

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