【前編】英語教室の先生から、登録者数380万人超のYouTubeリポーターへ――今井寛子さんインタビュー
私が今年から始めたインタビューシリーズも、いよいよ第5弾を迎えました。
 この企画では、国や業界の枠を越えて活躍するプロフェッショナルに焦点を当て、その挑戦と成長のストーリーをお届けしています。多様な選択肢がある時代に、自分らしいキャリアを築くヒントになれば嬉しいです。
第5弾は、現在YouTube登録者数約380万人を誇る人気チャンネル「Asian Boss」で一躍注目を集めた、今井寛子さんです。
どのようにしてAsian Bossのリポーターになったのか。
 そして、現在はどんな挑戦をしているのか。
「最初はSNSに全く興味がなかった」と語る寛子さんが、なぜここまでのキャリアを切り拓いてきたのか。リポーターとしての挑戦から、SNSストラテジストとしての成長、そしてAI時代に向けたビジョンまで、幅広くお話を伺いました。
前編・後編に渡り、再現性のある“キャリアの築き方”や“実践的なSNSの知見”にも触れています。ぜひ最後までご覧ください。
 
															
SNSへの興味は「ゼロ」から始まった
「実はもともとSNSにはまったく興味がなかったんです。唯一関心があったのはYouTubeぐらいでした」
当時、寛子さんは英語講師として働きながら、英語をもっと深く理解したいと思い、NetflixやYouTubeを教材に独学していました。
お気に入りの監督やYouTuberの作品を繰り返し観て、自然と英語の耳を鍛えていったといいます。
「Youtuberになろうとは思っていませんでした。母が営む英語教室で先生を続けて、そこで人生を楽しく過ごすことが夢だったんです」と笑顔で振り返ります。
しかしある時、「アウトプットする場が欲しい」と強く思うようになりました。
子どもや初級ビジネスマン向けの英語だけでは表現が限られてしまう。そこで自分の言葉で伝える場としてYouTubeを始めました。
当時、パソコンさえ持っていなかった寛子さんは母のMacBook Airを借りて内蔵カメラで撮影。「Hello YouTube」とカタコトの英語で緊張しながら自己紹介し、本田圭佑選手の夢ノートやライトな自己啓発を題材に発信。動画の質は高くなくても「誰かの役に立てれば」という思いで続けていました。
▶当時ヒロコさんが作成していたYouTubeコンテンツはこちら
【Self improvement】How to make a DREAM NOTEBOOK 【自己啓発】夢ノートの作り方
「ある日、ギリシャの方から『人生で悲しいことがあって、自分で命を絶とうと思ったけれど、あなたの動画で少し元気になれました』というコメントをもらったんです。とても励みになりました」
一方で、その他のSNSに関心を持つことはほとんどありませんでした。生徒から「先生もフォローしたいからアカウントを作って」と言われ、X(Twitter)やInstagramを作った程度。フォロワーは生徒が中心で、投稿内容も「今日食べたもの」といったプライベートなものでした。「当時は全然興味がありませんでした」と振り返ります。
生徒とのつながりが導いた新たな出会い
ある時、長年英語教室で教えてきた生徒が高校生ぐらいの頃、心に悩みを抱え、少し引きこもりがちになったことがありました。それでも英語のレッスンには通い続けてくれていたのです。
「日本には“こうすべき”という価値観が強くありますよね。その子もそうした概念にとらわれ、身動きが取れなくなってしまっていました。だからこそ英語を文法だけでなく、“いろんな考え方を知るためのツール”として学んでほしいと思ったんです。完璧じゃなくていい、正解はひとつじゃないと伝えたかったんです」
そこで彼女は、生徒に海外のYouTubeコンテンツを紹介しました。たとえば「アジアンボス」や、かつて人気を博したYouTuber「Nigahiga」。Nigahigaさんのいじめられっ子だった過去を語り、ポジティブに人生を切り開いたストーリー動画を一緒に観たことで、生徒は大きな刺激を受けました。
やがて二人で「YouTubeにファンメールを出してみよう」という話になりました。
当時、寛子さんはSNSに疎く、オンラインでの交流に不安もありました。そのため生徒に直接やり取りをさせるのではなく、寛子さんのメールアドレスを使って連絡。その署名欄に偶然載せていた寛子さんのチャンネルを、アジアンボスのメンバーがたまたま目にしたのです。
「アジアンボスの方から『ちょうど日本で手伝ってくれる人を探しているんだけど、参加してみない?』と声をかけてもらったんです」
最初はボランティアとしての参加でしたが、それは彼女にとって、英語力やグローバルな考え方を磨く新たな挑戦のきっかけとなりました。
 
															
アジアンボスでの挑戦と成長
最初はボランティアとして、寛子さんはストリートインタビューのテーマを提案したり、質問リストを日本語に訳したり、カメラマンを務めたりと、幅広く活動に携わっていました。やがてアジアンボスのYouTubeチャンネルの初期メンバーとして正式に加わり、「せっかくならチャンネルをもっと良くしていきたい」と強く思うようになったといいます。
そこで本部のメンバーからアドバイスを受けながら、自らもYouTubeを徹底的にリサーチ。世界の同ジャンルのトップチャンネルを調べ、ストリートインタビューだけでなく、パネルディスカッションやドキュメンタリーも展開していることに気づきました。
その結果「自分たちも挑戦してみよう」となり、活動の幅が本格的に広がっていきました。
加入当初、登録者数は約20万人ほどでしたが、取り組みを進めるうちに急成長。彼女自身も途中からフルタイムとして採用され、在籍中には登録者数が200万人を超える大きなチャンネルへと成長していきました。
また、日本語を話せるスタッフが不足していた時期には、寛子さんがレポーターを兼任。出演したコンテンツは数百万回再生が当たり前となり、中には1000万回再生を超える動画も生まれました。
当時のアジアンボスにはスタッフ思いの文化があったと言います。本来なら個人のSNSリンクを載せるのは難しいはずが、フォロワー数200人程度の寛子さんやカメラマンのリンクも記載してくれたのです。その結果、バズった動画を観た人々が「このレポーターは誰だろう」と興味を持ち、InstagramのDMには世界中からメッセージが届くようになりました。
彼女はアジアンボスに在籍している間、世界各地の人々とつながる経験を積んでいきました。
▶ Asian Bossでの出演動画はこちら
 
															 
															
カメラの前で鍛えられた強さと成長
有名YouTuberのメインリポーターとなった彼女ですが、「人生的にはパニックになった時期もあった」と振り返ります。元々目立つことが好きだったものの、まさか自分が長年メインMCを務めるとは思っていなかったそうです。
初期の撮影では緊張から「自分はどう映っているのだろう」と不安でいっぱいでした。時には恐怖心から「やりたくありません!」と泣きながら本部に連絡したことも。
例えば、ドリフトカーに同乗するシーンでは恐怖のあまり泣き叫ぶ姿まで映像に収められてしまいました。しかし5年の年月を経て、カメラが回っていても自然体で過ごせるほどに慣れていったと言います。
「イントロやアウトロは英語で暗記して話さなければならず、当時は大きなプレッシャーでした。できなくなって呼吸が乱れたこともあります。でも経験を重ねるうちに吹っ切れ、いまではリラックスして自然に振る舞えるようになりました」
また、当時のアジアンボスはスタートアップの環境でもあり、彼女は撮影や編集にも積極的に携わりました。大学生のカメラマンに声をかけて一緒に学んだり、編集者が不足した時には自ら仮編集を担当したりと、試行錯誤を重ねてきました。その中で、カメラマンや編集者がどのような意図で動いているのかを理解できるようになり、撮影現場を俯瞰して考えられるようになったといいます。
「どう映るか」ではなく「どう見せれば伝わるか」を考えながら動けるようになったことは、リポーターとしてだけでなく、物事を全体的に見る力を育てる経験となりました。
 
															 
															SNSの力を実感し、模索の時期へ
活動を続ける中で、彼女は「SNSの力は本当に大きい」と実感するようになりました。最初はただアウトプットの場が欲しくて動画を作っていましたが、次第に「どうすればバズるのか」が見えてきたといいます。特にYouTubeでは、テーマの選び方や構成の仕方など、毎日撮影や交渉、編集に携わることで自然と感覚が磨かれていきました。
アジアンボスには約5年間在籍。その後、長年の夢だった東京オリンピックでの通訳の仕事に挑戦するため退職しました。
退職後、無事にオリンピックで働くことは決まりましたが、コロナ禍で延期に。フリーランス契約での仕事も終了し、急に仕事が途絶えてしまったのです。英語講師からも離れて時間が経っていたため、戻ることはできず、「どうすればいいのか」と途方に暮れたと振り返ります。
当時は自分のスキルに自信がなく、SNSをキャリアにする発想はありませんでした。映像制作の単発案件やディレクターとしての仕事はありましたが、単価が低く、今振り返ってみると当時は「自分を安売りしていた。」と語ります。
「1本1万円の仕事なら“まあいいや”で済んでしまうけど、100万円の仕事なら死ぬ気で学び、挑戦する。安売りは自分にもクライアントにも失礼だと、今なら思います。でも当時は気づけず、自信を持てませんでした」
やがて派遣社員として、短期間で日本から撤退したフードデリバリー企業で営業職を経験。飛び込み営業も行いましたが、「自分がSNSのプロになるなんて想像もしていなかった」と語ります。
その間もYouTuberとしての活動が細々と続き、海外の有名チャンネルからMCやゲスト出演の声がかかることもありましたが、単発では生活を支えるには十分ではありませんでした。
そんな迷いの時期に転機が訪れます。YouTuber仲間の集まりで出会った、登録者約1000万人の大規模チャンネルでディレクターを務めていた女性から連絡を受けたのです。
彼女は「寛子さん、日本語得意だよね?」と声をかけ、「転職を考えてみてほしい」と新たな道を示してくれました。
彼女の歩みからは、未知の環境に飛び込みながらも柔軟に適応し、挑戦を糧に成長してきた姿が鮮やかに浮かび上がります。
彼女の母が経営する英語教室の先生から、世界中の人々に影響を与えるリポーターへ。その過程には、SNSやYouTubeを単なるツールにとどめず、世界の人とつながることができるプラットフォームと彼女の認識を変えていった彼女の柔軟性と行動力がありました。
後編では、アジアンボスでの経験を経てどのように新たなキャリアを切り拓き、そして現在のSNSマーケティングの道へ進んでいったのか。彼女が見つけた「自分らしい働き方」と「これからの展望」に迫ります。どうぞお楽しみに!
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