【前編】アメリカ育ちの視点で、日本から世界へ──井上ダニエルさんの金融からエンタメへのキャリア
今回のインタビューシリーズでは、国や業界を越えて活躍するプロフェッショナルにフォーカスを当て、その挑戦と成長のストーリーをお届けします。多様な選択肢がある時代に、自分らしいキャリアを築くヒントになれば嬉しいです。
第3弾は、金融・広告・テック・エンタメと多彩な分野を横断し、日米を舞台にグローバルなキャリアを展開してきた井上・ダニエルさんにご登場いただきました!
カリフォルニア生まれ、慶應義塾大学卒業後、ゴールドマン・サックス東京オフィスを経て、ニューヨーク本社へ。さらにTBWA\HAKUHODO 、Apple Japanを経て、現在はアメリカを拠点に“日本発エンタメ”を世界へ届けるブランドマネージャーとして活躍中です。異文化を超えて自らの道を切り拓いてきた井上さん。その原点と未来への展望を伺いました。

アメリカで育まれた視点と、日本での挑戦
井上さんは、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ育ちました。両親は日本人であることから二つの文化を自然に行き来する生活の中で、自らのルーツである「日本」に対する興味は、少しずつ心の中に芽生えていきました。
「生まれも育ちもカリフォルニアで、高校卒業まではずっとロサンゼルスにいました。」
兄が帰国子女枠で日本の大学に進学していた影響から、「自分も日本という環境で、これまでとは異なる経験をしてみたい」と思うようになったと言います。
こうして彼は、帰国子女枠を利用して慶應義塾大学への進学を決意。慣れ親しんだアメリカを離れ、日本での新たな挑戦が始まりました。

初めて直面した「文化の壁」
「もう、何から何まで違いました。人付き合い、食べ物、生活のリズム、すべてが新鮮というか、正直言うとカルチャーショックがすごかったです。」
ロサンゼルスで慣れ親しんできた、のびのびとした自由な空気とはまるで異なる東京の暮らし。駅の雑踏、時間通りに動く人々、空気の張り詰めたような講義室。そこは、彼にとって新しい刺激に満ちた世界でしたが、同時に「適応」の難しさを痛感する場所でもありました。
「きっと周りの人から見ると、ちょっとアメリカかぶれの日本人がやってきた、みたいに映ったと思います。笑」
その言葉の裏には、異文化の中で自分の立ち位置を模索する若者の葛藤が見え隠れしています。話し方や振る舞い、何気ない日常のやりとりまで、全てを見直さなければいけない。そんな現実に直面したのです。
井上さんにとって、この日本での学生生活は、異文化を体験するというよりも、自らの中にある多様な価値観と向き合う時間だったのかもしれません。居心地の良い場所を離れて、あえて不確かな世界に足を踏み入れたからこそ、自分の在り方を深く問い直すきっかけになったのです。
キャリアの出発点──金融業界での第一歩
慶應義塾大学を卒業後、井上さんは世界的な金融機関であるゴールドマン・サックスにて社会人としてのキャリアをスタートさせました。意外にも、金融への強い関心があったわけではなかったと言います。
「就職活動を始めた当時、自分が何をしたいのか、どう社会に貢献したいのか、はっきりとした答えはまだ見つかっていませんでした。多くの学生がそうであるように、私も迷いながら、自分の可能性を探していたんです。」
そんな中で井上さんは、自分の「強み」に目を向けます。アメリカで育ち、バイリンガルであること。日本という国で、その特性を活かせる場所はどこか─。
そうして出会ったのが、ゴールドマン・サックスの東京オフィス。外資系企業であること、そして本社がニューヨークにあるという点も、井上さんの心を動かしました。
「いつかアメリカで働きたいという想いはずっとあったので、将来的にニューヨークでのキャリアにも繋がるかもしれない、という希望を持ってこの会社に決めました。」

なぜ日本でキャリアをスタートしたのか
アメリカに生まれ育った井上さんが、なぜまず日本での就職を選んだのか。そこには、日本ならではの「ポテンシャル採用」に魅力を感じたからだと語ります。
「日本で働くことが、自分の可能性を最も広げてくれると感じたんです。」
アメリカでは、学んだ分野と直結した職業に就くのが一般的。しかし日本では、学部や専攻にとらわれず、「人」としての可能性を重視する採用文化がある。それは、井上さんにとって大きなチャンスでした。
「もしアメリカの大学に進み、そのままアメリカで就職していたら、“アメリカにいる日本人”という立ち位置からのスタートだったと思います。でも、日本では“英語ができる”ことが大きなアドバンテージになり、見える景色が変わる。その違いを活かしたかったんです。」
実際、経済を専門に学んでいなかった井上さんが、世界有数の金融機関でキャリアをスタートできたのも、日本の新卒採用ならではの柔軟さがあったからだと言います。
「日本の採用は、一発逆転が可能な特別な仕組み。担当者が自分に可能性を感じてくれれば、扉は開かれる。そこに魅力を感じました。」
学生時代から「自分を磨く」ことを意識し、さまざまな経験を積んできた井上さん。その努力が、思いがけないチャンスとして実を結んだ瞬間でもありました。
ニューヨーク異動 ― グローバルキャリアへの挑戦
日本でキャリアをスタートさせた井上さんでしたが、心のどこかには常に「アメリカでも働いてみたい」という想いがありました。それは、グローバルな視点でキャリアを広げたいという意志から来るものでした。
当時は親もアメリカに住んでいて、家族の近くで働けたらという気持ちもありました。それに、日本だけではなく、いずれは国際的な環境でも自分の力を試したいとずっと思っていました。」
入社して2〜3年が経ち、業務にも慣れてきた頃。井上さんは、社内でアメリカ・ニューヨークオフィスへの異動希望を正式に出し始めます。そして、偶然にもニューヨークで彼のポジションに空きが出たことで、希望が現実のものとなったのです。
ニューヨークへの異動は、単に運だけで掴めたものではありませんでした。これまでの社内での働きぶり、評価、そしてタイミング。その全てが重なって実現したのです。
日本での経験がしっかりと評価され、ニューヨークチームからもスムーズに受け入れられた背景には、井上さんが地道に積み上げてきた信頼がありました。


「チームワーク」と「自立」──二つの価値観が育んだ成長
井上さんが社会人として最初に経験した日本の職場では、「チームワーク」を大切にする文化が根付いていました。誰かが困っていれば自然と手を差し伸べ、チーム全体で課題を共有し、乗り越えていく。そのスタイルが主流でした。
「日本では、チームとしてどう動くかが重要視されていました。何かトラブルがあっても、マネージャーが前に立って守ってくれるという安心感がありました。」
そして、異動先のニューヨークで待っていたのは、日本とは対照的な「自律」と「成果」を重視する文化。一人ひとりが明確な責任範囲を持ち、その中でどれだけ高いパフォーマンスを発揮するかが求められる環境でした。チームとして支え合うというよりは、個々が自立し、成果で信頼を築くスタイルです。
「ニューヨークでは、自分の責任範囲をしっかりと持ち、その中でいかに結果を出すかが求められていました。チームの一員としてではなく、一人のプロフェッショナルとしての自立が重視されていました。」
こうした環境の中で井上さんは、「成果を可視化すること」の意義を深く実感します。自分の貢献がどれほどのインパクトを生み出したのかを示すことで、自身の評価や次のチャンスに繋がる。その実感は、時にプレッシャーを伴いながらも、自らの成長を強く後押ししてくれました。
日本の「チームワーク」の文化と、ニューヨークの「自律と成果」の文化。どちらか一方ではなく、その両方を経験したからこそ、井上さんは「協働」と「自立」という異なる価値を深く理解し、自分の中でそれを融合させることができたのです。
異なる文化を生きることで、井上さんは自らの働き方に新たな視点を持ち、幅広い環境で活躍するための柔軟性と強さを手に入れたのです。
ー後半へ続くー
前編はいかがでしたでしょうか?
アメリカと日本、異なる文化を行き来しながら、自らのルーツや価値観と真剣に向き合ってきた井上さん。
その挑戦の軌跡からは、「枠にとらわれず、自分の可能性を信じて進むこと」の大切さが伝わってきたのではないでしょうか。
後編では、金融業界での経験を糧に、憧れ続けていたクリエイティブの世界へと飛び込んだ井上さんの新たな挑戦について深く掘り下げていきます。
新たなフィールドで直面した壁、そして見出したやりがいとは──。
グローバルな視点でキャリアを築く彼のストーリー、ぜひ後編もお楽しみに!

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