【後編】人気YouTuberからSNSストラテジストへ―今井寛子さんインタビュー
恒例となった本インタビューシリーズでは、国や業界の枠を越えて挑戦を続けるプロフェッショナルの物語をお届けしています。
第5弾は、前編に続き、YouTube登録者数380万人を誇る人気チャンネル「Asian Boss」で注目を集めた今井寛子さん。
後編では、退職後に訪れた模索の時期から、どのようにして新たなキャリアを切り拓き、SNSマーケティングの道へ進んでいったのかを伺います。
新たな出会いが導いたキャリアの転機
「そうやってキャリアを模索していた時に、YouTuberの集まりで知り合った方から突然連絡が来たんです」
その相手は、なんとYouTube channel Cut の元ディレクターであり、彼女自身がずっと憧れていた存在——マリナさんでした。
「ひろこさん、日本語得意だよね?」と声をかけられたときは驚きつつも、「日本語が一番得意だよ、って答えました(笑)」と振り返ります。
するとマリナさんから思いがけない提案がありました。
「現在、仕事はもうあると思うんだけど、転職についてちょっと考えてほしいんだよ」
それは、イギリスのSNS特化型クリエイティブエージェンシー「Ralph Creative」が東京に新オフィスを立ち上げるにあたって、スタートアップメンバーとして参加してほしいという誘いでした。
憧れのマリナさんとの出会い
きっかけは、YouTuberのマックス・ディ・カーポさんからの誘いでした。Thanksgivingの集まりに呼ばれ、「アメリカの文化を体験できるいい機会だよ」と声をかけてもらったのです。会場には憧れのクリエイターたちが集まっており、その中に Cut の元ディレクターであるマリナさんの姿がありました。
出会う前から互いの存在は知っていたといいます。世界的にバズっているチャンネルは自然と目に入りますが、マリナさんの映像は群を抜いてクオリティが高く、寛子さんが真似しようとしても再現できなかったそうです。
その場でマリナさんを見つけた瞬間、「クールに振る舞わなきゃ!」と思いながらも心の中では“マリナだ!”と大興奮。そんなとき、先に声をかけてくれたのはマリナさんでした。
「Hi Hiroko, あなたの動画よく観てるよ!」と自然に話しかけられ、頭が真っ白になった彼女は思わず「ファンです!」と言ってしまったと笑います。その後はずっと気になっていた動画の撮影方法等を含め、自然と会話が盛り上がったそうです。さらに、彼女が映像制作会社で経験を積んでいたことも初めて知り、プロとしての凄みを実感したと言います。
「よくわからないけど、かっこいい!」。その感覚がすべてを物語っていたといいます。この出会いが、Ralph Creativeへの入社につながる大きな転機となりました。
尊敬する人から学んだこと
マリナさんは、次第に寛子さんにとってより特別で尊敬する存在になっていきました。
「年下なんですけど、人としてすごく成熟していて尊敬できる方なんです。プロジェクトで困難があっても否定的にならず、常にフラットで落ち着いていました。誰かを批判することもなく、ただ穏やかに受け止める。その自然体な姿勢がとても印象的でした」
さらにマリナさんは、常に全体を見渡し、数歩先を読んで的確に物事を動かす力を持っていました。
「こういう人になりたい。YouTuberだけじゃなく、ビジネスの場でキャリアを築いている女性って本当にかっこいいなって思いました」
「マリナさんのもとで働いて、その素晴らしさを学べるなら、今すぐ面接受けます!って思いました」
バイリンガルであることやYouTubeでの経験も評価され、結果すぐに採用につながったのです。
新しい挑戦と学びの日々
Ralph Creativeへの入社直後は分からないことだらけでしたが、会議中も「分からない」とは言えず、試行錯誤しながら、対応していたと言います。
前職ではYouTubeを主戦場にしてきた寛子さんですが、Ralph CreativeではInstagramやTikTokも含めて幅広く担当することに。SNSごとに“言語が違う”ようなもので、それぞれに合った戦略が必要でした。ビジネスゴールから逆算するという基本は同じでも、Xならシェア率を高める仕掛けが有効で、当時のInstagramならリールなど形式を見極める必要がある。
当時は試行錯誤の連続で、ひたすら勉強を重ねたといいます。そんな中で寛子さんが強く影響を受けたのが、クリエイティブディレクターのクリスさんでした。
「部下を信じて任せ、口を出さない一方で、助けを求めれば驚くようなアイデアを示してくれる。そして誰かが失敗しても必ず受け止めてくれる、そんな存在でした。」彼女自身がシニアの立場になった今、その姿勢の難しさを痛感しているようです。
「正直、自分でやった方が早いと思うこともあるんです。でもそれだと部下が育たない。泳がせて任せるのは本当に勇気がいること。人を信じて“全部任せるよ”って言えるかどうか、今も自分に問い続けています」と語ります。
伸び伸びと挑戦できた環境
入社して間もない頃、クリスさんは「このプロジェクトは君に任せるよ」と思い切りよく仕事を託しました。入社3日目での抜擢に「えーー!」と驚きながらも、彼女は全力で取り組む覚悟を決めたといいます。
「私は“分からないけど頑張ります!”というタイプなので、任せてもらえたんだと思います。努力を惜しまない人には信頼して託してくれる。そんな環境があったからこそ安心して挑戦できました」
また、当時同僚であったマリナさんも同じように寛子さんに寄り添い、「分からないなら一緒に考えよう」とヒントを与えて、褒めて伸ばしてくれる存在だったそうです。二人のサポートがあったからこそ、初心者として飛び込んだ環境でも不安なく挑戦できたと振り返ります。
仕事では、クライアントのビジネスゴールを逆算しながら戦略を立て、競合調査やレポートを重ねました。本来なら「そんな作業に時間をかけるな」と言われそうな細かな調査も、「いいね、やってみよう」と背中を押してもらえたことで寛子さんなりの学びに変えることができたそうです。さらに寛子さんのリサーチの発表の場もあったことで、経験豊富な同僚からもアドバイスをもらう機会も得ることができたそうです。
YouTuber時代は再生数がそのまま収益に直結していましたが、ブランドのSNSはゴールによって戦略が変わる。認知拡大なのか、コンバージョンなのか。そこを理解できたことは、彼女にとって大きな発見でした。
SNSにのめり込んでいった日々
当時は毎日のようにリサーチに没頭し、気づけば夜中の1時を過ぎていることもあったそうです。会社から強要されたわけではなく、ただ彼女自身が楽しくて止まらなかったといいます。
「Fake it till you make it」と思い、リサーチし、仮説を立て、試し、また調べる。その繰り返しが彼女にとっては苦ではなく、むしろ夢中になれる時間でした。
SNSは常にアルゴリズムが変わる世界です。努力を重ねた分だけ成果につながり、誰にでもチャンスがある。そのスピード感に惹かれ、最初は興味がなかったはずのSNSに寛子さんはどんどんのめり込んでいきました。昔は専門的に学び、学位を取らなければ就けなかった仕事も多かったけれど、今あるSNSの仕事は違います。アルゴリズムの変化に合わせて学び続け、努力した人が結果につながる。
「旅行の計画を立てるように、仮説を立てて検証する過程そのものが楽しいんです」。そう語る彼女にとって、SNSのリサーチは仕事であると同時に、得意分野の延長でもありました。
「もともと一人で調べ物をするのが好きなんです。旅行する時も、”どこに行こうか?何をしようか?”と考えて調べる時間が一番楽しいんですよ」。そんな性格もあり、SNSの世界にのめり込むのは自然な流れだったのかもしれません。
転職を決意した背景
ラルフでのキャリアを続けるつもりだった彼女に、思いがけない転機が訪れました。結婚や出産を控える中で「自分が家族を支えていかなければならない」と強く意識するようになり、転職を決断します。
「私はラルフでしか働いたことがないから、転職のことが何もわからなかったんです。コピーライター、プロジェクトマネージャー、ストラテジスト……自分が何者として応募すればいいか分からなくて」と当時を振り返ります。
そんな彼女に、同僚が「あなたの強みはストラテジーにある」とはっきりアドバイスをくれました。その言葉を受けてキャリアを見直し、LinkedInの経歴を数値化した実績ベースに改訂。
するとリクルーターから声がかかるようになったといいます。結局は同僚から紹介を受けて新たなキャリアへと踏み出しました。
ブランドサイドで見えた新しい景色
ある日、LinkedInを通じて憧れのブランド DJI から声がかかります。SNSマネージャーとしてのオファーでした。「代理店としてだけでなく、ブランドサイドの視点も知りたい」と思っていた彼女にとって、願ってもない機会でした。
DJIでは、従来のやり方にとらわれず新しい挑戦を続けました。当時のKOL(Key Opinion Leader)施策は限られた人数で行われていましたが、彼女は「これから伸びるクリエイターと積極的につながりたい」と考え、自らSNSでDMを送り、直接会って関係を築きました。予算がない中でも「できることは何でもするので一緒に頑張りましょう」と働きかけ、少しずつ協力者を増やしていったのです。
入社から一年半が経った頃、会社の新方針でKOLをより積極的に起用することになり、その流れも追い風となって、結果としてKOLは100人以上に拡大。インプレッションや再生回数は飛躍的に伸び、ブランドの予算も確保できるようになりました。クリエイターにとっても他ブランドとのコラボにつながり、双方にとって成長の機会となったといいます。「今でもプライベートで交流があるくらい、あの時につながった人たちとは良い関係が続いています」と笑顔で語ります。
日本のSNS市場のいま
彼女は日本のSNS業界を「まさに過渡期」と表現します。
「日本は新しいものに対して少し臆病なところがあります。良くも悪くも慎重なんですよね。これまでの主流はテレビCMや雑誌広告でしたが、今はSNSへと確実にシフトしてきています」と語ります。
海外ではすでにSNSマーケティングが主流で、しっかり予算を投じて成果を出し、その結果さらに予算が拡大している。一方で、日本はまだ移行の途上にあります。外資系ブランドの日本支部などは理解が進んでいるものの、国内企業はこれから挑戦を始める段階。それでも「挑戦してみよう」「SNSにもっと投資してみよう」と動き出す企業が増えていることはポジティブだと捉えています。
5年後には「テレビCMよりSNS広告が当たり前」となる時代が訪れると考えています。
AIが変えるこれからの仕事
一方で彼女は、AIの進化がSNSの仕事に与える影響について強い危機感を抱いています。
「ChatGPTをはじめとしたAIは、すでにジュニアレベルの仕事を代替できるほど優秀です。以前は5時間かかっていた作業が、ファクトチェック込みで30分で終わってしまうこともあるんです。もちろん、ジュニアを育てたいという気持ちがありますが、Chat GPTが優秀なことも事実です。」と驚きを語ります。単なる効率化ツールではなく、日常業務の質そのものを変えてしまう力があることを、日々実感しているといいます。
今後さらに進化すれば、コンテンツプランニングやストラテジーといった高度な業務さえAIが担う可能性があります。過去のデータやケーススタディをもとにアイデアを導き出すプロセスは、すでにAIが得意とする領域です。
「10年以内にはシニアポジションでさえも必要なくなるかもしれない。」
そんな現実的な危機感を持ちながらも、彼女は決して立ち止まってはいません。目の前のプロジェクトを成功させることを大前提にしつつ、「自分だからこそできること」を模索し始めているのです。
AIに置き換えられない価値をどう生み出すか――その問いを常に心に置きながら、新しい時代のキャリアを切り拓こうとしています。
“先生”として届けるSNS
今後は「SNSを専門とした社員研修」に注力していきたいと考えています。
すでに大手企業からコンサルティングを依頼されることもあり、「SNS部署を立ち上げたけれど、SNS専門人材がおらず成果が出ない。どう改善すればいいか」という相談を受けることが多いといいます。そこで、企業ごとに合った教材を作成し、基礎用語の解説からチャンネルごとの目的設計、さらには最新トレンドの取り入れ方までを指導し、社員が半年で実装できるよう伴走する仕組みをつくりたいと考えています。
彼女にとって“教えること”は原点です。
もともと英語講師として「言語をツールに新しい考え方を受け入れる手助けをしたい」と思っていましたが、SNSも同じ。
発信したいけれど方法がわからない人を支え、背中を押す役割に強いやりがいを感じているそうです。「やっぱり先生をやることが好きなんだと実感しました」と彼女は語ります。
また企業研修の一環になるので、国の社員研修補助金制度を活用して、企業側の負担は小さく済み、参加者も安心して取り組める環境が整っているそうです。引き続き、フルタイムの仕事を続けながら、週末や通勤時間を活用して自分のプロジェクトについて構想を練っています。
SNSを単なる運用スキルではなく、ビジネスを成長させるためのツールとして広めていくことを目指し、将来的には自らの手で事業として形にしていけたらと考え、日々努力を重ねながら成長を続けています。
この連載を通して見えてきたのは、寛子さんがずっと持ち続けている「学び続けて、分かち合う」姿勢でした。
英語講師としてのスタートから、YouTubeやアジアンボスでの挑戦、SNS代理店で磨いた経験、そしてブランドサイドで得た新しい視点まで。常に新しい世界に飛び込み、そこで吸収したことを自分の言葉で発信してきた歩みは、移り変わりの早いSNSの世界だからこそ、いっそう輝いていると思います。
私自身、彼女の柔軟さや、いつも明るく前向きに物事を楽しむ姿にたくさん刺激を受けました。お話をさせて頂いてるだけで元気を頂き、「ああ、この性格が人を惹きつける魅力なんだろう」と思いました。
「先生」として人を勇気づける喜びを忘れず、学ばれたことを次世代につないでいこうとされる姿勢は、本当に素晴らしく、これからの世代にとって大きな指針になるはずです。ご自身の強みを見極め、努力と学びを糧にキャリアを積み重ねていかれる姿は、読者の皆さまにとっても「成長を止めない働き方」を描く大きなヒントになるのではないでしょうか。
今回も最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
次回もまた、寛子さんのように素敵な人生を歩まれる方にお話を伺い、そのストーリーをお届けしたいと思います。
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